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2016-07-26

「名倉堂」の由来

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「名倉堂」の由来

初代名倉弥次郎兵衛直賢(1750~1828)接骨科を創業したのは、明和年間(1764~1772)の事です。もとより日本で初めての接骨院でした。

名倉家は、桓武天皇の御商、畠山重忠孫で武蔵国秩父群名倉村に城したが、永禄13年(1570)武田信玄に攻められて落城、岩槻を経て江戸の千住に居を定めました。

現在、本家〔14代目(13代目は関東労災病院医師)〕は東京都千住にて名倉病院(整形外科・脳神経外科)を開設しています。

全国で二万件を超える 接骨院・整骨院の中、「名倉」もしくは「名倉堂」と称している接骨院は5百軒に達していますが、これらは全てこの「名倉」関連の病院もしくは、接骨院で修行を積み、家名継承を受け継いだものたちです。

関東では、「名倉」は「ほねつぎ」の代名詞とされており、近代医学が謳歌される中、現在でも日本古来の無血療法(手術しないでなおす療法)を伝承しています。

 

研ぎあぐる 刃物ならねど 打つし身の
名倉の医師に かからぬぞなき

森鴎外(1862~1922)

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